「ビッグバン直後」の宇宙は直径1.5m 岡くんぐらいだった😲

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1 : 2024/03/08(金) 01:15:12.00 ID:5axw5ssu0

さかのぼって推測できる限界は時間にして
高温のビッグバンの発生から10-35秒、
距離でいうと1.5メートルまでということがわかっている。

大きさを特定できるもっとも初期の段階の宇宙は、
人間と同じくらいの大きさだったということになる。

https://forbesjapan.com/articles/detail/64524/page4

2 : 2024/03/08(金) 01:15:29.03 ID:5axw5ssu0
スゲー
3 : 2024/03/08(金) 01:15:43.76 ID:5axw5ssu0
ゆぴー
4 : 2024/03/08(金) 01:17:34.41 ID:OzC2iyVF0
まあ、いきなり1.5m程で登場する訳も無く
5 : 2024/03/08(金) 01:17:52.52 ID:WvxJMhJ50
神「ぎりセーフ」
6 : 2024/03/08(金) 01:24:20.24 ID:FLboCs0l0
光速で30秒だととんでもねぇ距離のはずだが
ビッグバンから30秒経ってもまだそんな大きさなの?
ビッグバン直後は何か物理法則が違うのか??
7 : 2024/03/08(金) 01:29:39.73 ID:4/JfGdqL0
>>6
よく嫁
8 : 2024/03/08(金) 01:37:08.11 ID:t36mx5Cm0
>>7
だよな35秒後って書いてあるのに
19 : 2024/03/08(金) 04:13:11.67 ID:9iKzChTV0
>>6
今の宇宙とは状態が違うから
生まれたばかりの宇宙は今ではあり得ない法則が成り立つとかなんとか
10 : 2024/03/08(金) 01:37:30.57 ID:rNAW3RSg0
ビックバンの素はなんなんやて 笑
絶対ビックバン説はないと思うわ
11 : 2024/03/08(金) 01:40:33.67 ID:7Iy04iKO0
10^(-35)って書かないと
12 : 2024/03/08(金) 01:41:13.23 ID:uuPgUarX0
ユピーッ!←この時に宇宙が膨らんだって事か
13 : 2024/03/08(金) 01:43:47.76 ID:uoNproGn0
その1.5mの外側には何があるのかが重要なんだが
14 : 2024/03/08(金) 02:00:16.34 ID:k4R70jmW0
>>13
岡あさんの子宮や
15 : 2024/03/08(金) 02:03:02.37 ID:V6jY1aud0
それあなたの感想ですよね
16 : 2024/03/08(金) 02:07:24.96 ID:0BUTZvHB0
インフレーションが凄すぎて 今の宇宙空間って既に消滅後の残像で 実際は存在してなさそう
単に空間上に情報保存された現象を再生してるか情報放出してるだけの世界だったり
17 : 2024/03/08(金) 03:04:35.43 ID:UsNSjXF00
ビッグクランチで集束した何かがをビッグバンを発生させて次の宇宙であるこの時空が構成されたに10ペリカ
フラクタル的に考えて宇宙も心臓のように膨張と収縮を繰り返してるだけな気がする
18 : 2024/03/08(金) 03:29:34.37 ID:kd0Ez16+0
インフレ制御出来ないとこうなるのよ(´・ω・`)
20 : 2024/03/08(金) 05:09:51.80 ID:HZzMCtv40
岡くんが産まれた時は0.15メートル
21 : 2024/03/08(金) 05:19:35.35 ID:x2kygqAc0
何でいつも思考が三次元なんだろう
24 : 2024/03/08(金) 05:25:49.94 ID:0HKdc/n/0
教会こそ実現された千年王国である 西暦410年に西ゴート族がローマに侵入して略奪をほしいままにするという忌まわしい災厄があったが、この事件は反キリスト教的な動きを活発にした。ローマを襲った災厄は、古来の神々を捨てた神罰であって、いまこそキリスト教を退けなければならないと考えられたからだ。アウグスティヌスの『神の国』はこのような人々の非難からキリスト教を守るために書かれたものである。
神の国は教会の中に実現されているという考えはこの書の中で述べられており、これが教会の教理として認められたわけだが、アウグスティヌスの主張は中世以降においてしばしば誤解されたというのが現在の一般的な見方である。例えば、アウグスティヌスは神の国と教会とを完全に同一のものとはいっていないが、これらを同一のものと考えることから、教会をこの世で至上のものとするような誤謬が生まれたというのである。
 では、アウグスティヌスにとって、神の国とはどのようなものなのだろうか?『神の国』では、神の国は地上の国と対比されており、神を愛し、自己をさげすむ愛が神の国を、自己を愛し、神をさげすむ愛が地上の国を造ったとしている。これら2つの国がどこにあるかについては2通りの解釈がある。1つによれば、神の国は教会であり、地上の国は現実の諸国家ということになる。もう1つによれば、どちらも理念であって、現実と対応させられないものだという。
したがって、神の国は教会によって実現されてはいるが、これら2つは完全に一致するものではないのである。もしも、これらが一致するものならば、教会は完全に理想的な存在となるわけだが、アウグスティヌスはそのようにはいっていない。彼によれば、教会の中にも邪悪なものは存在し、教会の外にも善なるものは存在するのである。そこで、神の国は教会において実現されてはいるものの、それはまだ不完全なものだということになる。アウグスティヌスによれば、地上に実現された神の国はこのように不完全なもので、やがて終末において完全なものとなるために、時間の中を進んでいくものなのである。 この神の国が始まったのは、イエス・キリストが誕生したときである。それいらいずっと地上における神の国は存在している。しかし、終末がいつ来るか、地上における神の国がどれだけ続くかということにはアウグスティヌスは答えない。そのようなことは神だけが知っているからである
26 : 2024/03/08(金) 05:27:20.79 ID:0HKdc/n/0
「ところで千年は、わたしの見るところでは、二つの仕方で理解されることができる。その一つは、あの出来事は最後の千年に、すなわちいわば第六日――その終わりの時間がいま経過していて、さらに夕べをもたぬ安息日、つまり終わりなき聖徒たちの休息がつづく――その第六日たる第六千年に起こるのであるから、ヨハネはまだ世の終わりに至るまで残っているこの日の、つまりこの千年の最後の部分を、あたかも全体によって部分を表すような語り方で千年の呼んだのである。いま一つは、完全な数によって時の充実そのものが注目されるよう、たしかにヨハネはこの世の年数全体のために千年を用いた」
 これによれば、悪魔が縛られるのは千年王国が続く期間の最後の頃のこととなるし、千年という数も、実際の千年を表していると考えなくてもすむことになる。そして、アウグスティヌスの考えは、ヨハネの黙示論とも矛盾しなくてすむようになるのである。
 『神の国』の中でも、とくに第20巻から22巻にかけて、アウグスティヌスは過去のさまざまなキリスト教文献に現れた終末の預言をとりあげて吟味しているが、その中には終末ということに関して興味深い記述が多いのである。
 ここで、その一例を挙げてみよう。終末の日に死者たちが生きているときと同じ完全な身体で復活するというのは黙示文書で必ず語られることだが、もしも、ある危機的な状況で人肉食が行われ、喰われた人間も喰った人間も死んでいた場合はどうなるのだろうか? 喰われた人間の身体は喰った人間の身体の一部分になっているのだから、これらの死者が両方とも生きているときと同じ姿で復活するのは不可能なように感じられる。
 アウグスティヌスによれば、この場合でも両者は生きていたときの姿で復活するのである。というのは、喰われてしまった人間の肉は、喰った人間から見れば借り物なので、それは喰われた人間に返される。喰ったものを返してしまうと喰った人間には不足が生じる。この不足した部分は、人肉を喰う以前にどこかへ失われたといえるが、その失われたものもすっかり回収されるからである。また、世界のどこにも見つからない場合は、神がそれを造って補うことができるのである。
28 : 2024/03/08(金) 05:29:41.59 ID:0HKdc/n/0
■数の象徴が歴史の進行を解明する 自分のことを重要なキリスト教歴史神学者の1人だと主張したフィオーレ修道院長ヨアキムは、聖書を霊的に解釈することで、この世の全歴史の進行は過去・現在・未来のすべての事柄に関して理解可能であると考えていた。霊的解釈の意味は必ずしも明確ではないが、ヨアキムにとっては予型論(旧約聖書の記述が新約の内容を予示しているとする考え)と寓意によって聖書を読むことが大事だとされた。 これに加えて、ヨアキムは数による象徴を重要視した。中でもとりわけ重要とされたのは、1、3、4、5、7、12だった。ヨアキムは終末までの全歴史を3つの部分、5つの部分、7つの部分などに分けて説明するが、それは現実に根拠を持つというよりは、その数自体が重要だったからである。
このように数の象徴性を重要視する考えは、古代の宇宙論や占星術と関係するものだが、古代や中世の人々にとって、それだけで重要なことだったといわれている。したがって、ヨアキムの終末論的歴史観に数多くの数が登場するのは、現実に根拠があるというよりは、その数自体に根拠があるのであって、それを用いることによって歴史が解明できるとヨアキムが考えていたからだということに注意してほしい。

■聖三位一体こそ真理
歴史を解釈するためにヨアキムが用いた象徴的な数の中でも、最も重要視されたのは1と3だった。これらの数は、キリスト教神学の中でも基本的な要件である三位一体論(注1) にも用いられているが、1180年以降にヨアキムは2度の霊感を受け、三位一体論こそが真理を手に入れる方法だと悟ったといわれる。 そこで、ヨアキムの歴史理解は神が3つの位格を持っているように、歴史もまた3段階を持っているということから始まる。3段階はそれぞれ〈父の時代〉〈子の時代〉〈聖霊の時代〉とされる。〈父の時代〉は父が支配する時代であり、過酷な律法の時代である。〈子の時代〉は子の支配する福音の時代だとされる。したがって、この時代が成就するとき、人々は過酷な律法から解放されるのである。〈聖霊の時代〉は聖霊が支配する時代であり、より完全な自由が実現する時代である。3段階にはそれぞれ余人を導くような代表的な人々がいるが、それは第1段階においては夫婦者(父は子をもうけるから)、第2段階では聖職者(イエスは神の言葉だから)、第3段階では修道士(聖霊のたまものを受ける特権者だから)とされる。

29 : 2024/03/08(金) 05:29:56.79 ID:0HKdc/n/0
こうして、時代は霊的な意味で完成に向かい、最後の段階で千年王国的世界が実現するとされたのである。〈聖霊の時代〉において歴史が完成するのは、旧約の文字は父に帰し、新約の文字は子に帰し、父とこの双方から発する霊的理解は聖霊に帰すると、ヨアキムが考えたからである。時代が霊的に完成に向かうとする考えは、この世の歴史は〈旧約時代〉と〈新約時代〉の2つの時代があり、その間に霊的進歩が存在しているというキリスト教の基本的な考えに基づいている。このため、象徴的にはとくに重要な数ではない2という数も、ヨアキムは重要なものだと考える。さらに、歴史を3段階に分けることの利点として、ヨアキムはこの3段階の前に律法以前の時代を、後に世界終末以降の永遠の国を想定することで、歴史を5段階に分けることも可能だからだと考える。
 しかし、千年王国が実現するのは歴史の第3の段階が始まったときではない。ヨアキムの考えでは歴史の3段階は互いに重なり合った部分を持っている。(図1参照)これは、それぞれの段階は前の段階において準備されるからだとヨアキムは考える。こうして、歴史はさらに細分化され、4つに分けることが可能になるが、このうち歴史の第3段階が完全に成就される第4時代が、千年王国に相当する時代とされるのである。

(注1)新約聖書のマタイの福音書などで語られている「父なる神、子なるキリスト、聖霊」の3者は、3つの異なる神なのではなく、唯一の神の3つの位格だとする論理。

30 : 2024/03/08(金) 05:30:12.27 ID:0HKdc/n/0
西暦1200年に歴史が完成する

 ヨアキムは歴史の全体を3段階から4時代へと細分化したが、このうちでヨアキム自身が存在しているのは当然、人々が福音の下に生きている第3の時代である。これだけでも、歴史全体から見れば千年王国が近づいていることはわかるが、どれほど近いかはわからない。そこで、ヨアキムは全歴史をさらに7つの世に細分化していく。(図2参照)7という数は象徴的に重要なだけでなく、神が6日間で世界を創造し、7日目に休息したという創世記の記述にも用いられている数である。
 7つの世のそれぞれには聖書や教会史に基づいて人間の21世代が存在するとされ、歴史の3段階のそれぞれに61世代が存在する。これら世代を用いることで、ヨアキムは歴史の3段階をさらに詳しく説明している。つまり、第1段階はアダムに始まり、アブラハムによって実を結び、キリストで終焉する。第2段階はウジヤに始まり、洗礼者ヨハネの父ザカリアにおいて実を結び、42世代目に終焉する。第3段階は聖ベネディクトゥスに始まり、彼から22世代目に実を結び、世界の終焉において終焉するのである。
 さらに、ヨアキムは歴史の第2段階に所属する世代は正確に一世代30年と計算するので、ヨアキム自身は第2段階の40世代目に位置することになる。したがって、歴史が完成し、千年王国が到来するのももう間もなくだと考えられたのである。計算上、それは1260年に到来することになるはずだが、ヨアキムは、それは数年後、つまり1200年頃に訪れるだろうと予言している。

35 : 2024/03/08(金) 05:35:18.03 ID:0HKdc/n/0
ジェノヴァ人によれば、太陽都市はとある島の赤道直下の広い平原にある。その平原に丘があり、太陽都市の大部分はその上にある。都市は中世の城塞都市と同じように分厚い壁に囲まれており、直径が2マイル以上、周囲が7マイルもある。城壁は都市の内部にもあり、都市全体は7つの環状の地区に分けられており、それぞれ7つの惑星にちなんだ名前が付けられている。城壁の上には塔や砲台も供えられており、仮に敵対勢力の攻撃があったとしても完全に守られるような仕組みになっている。
 このように、中世の城塞都市としては完璧に近い都市の中で、理想的な生活が送られているのである。
36 : 2024/03/08(金) 05:36:21.77 ID:0HKdc/n/0
最高統治者は「太陽」

 太陽都市の内容に関しては、統治形態と市民の生活に大別できる。
 都市の最高統治者は「太陽」と呼ばれるが、これには「形而上学」という意味があるという。したがって、太陽都市では形而上学である「太陽」がすべての根本であって、「太陽」なしには何も決定できない。太陽都市におけるすべての存在は「太陽」から始まるツリー構造の中に治まることになるのである。
 最高統治者である「太陽」には3人の補佐役がいる。これらは太陽都市の言葉で「ポン」「シン」「モル」と呼ばれるが、それぞれ「力」「知恵」「愛」という意味だという。3人の補佐役は当然その名前にふさわしい仕事をしている。「力」は戦争・和平・軍略をつかさどり、「知恵」はあらゆる学問や芸術を、「愛」は立派な種族を維持できるように生殖をつかさどるという。「知恵」の下には学芸の分野ごとに文官がおり、「占星学者」「宇宙学者」「幾何学者」「論理学者」などという名前が付いている。このような名前は都市の役人にもつけられており、太陽都市には人間の美徳と同じ数だけ役人がいるが、これらの役人には「高邁」「貞潔」「剛毅」「公正」「勤勉」「真理」などという名が付いているとされている。
 ところで、役人や文官の選任は4人の統治者によって行われるから問題はないが、最高統治者である「太陽」になるのは大変なことである。「太陽」になる人物はあらゆる民族の歴史、祭祀・祭礼、いろいろな政体の国家、立法者たちや学芸の創始者たちのことなどを知り尽くしており、かつ技芸にも通じていなければならないからである。また、たとえ能力は十分でも35歳になるまではその地位につくことはないし、「太陽」は終身職なので、現任者よりも優れていない限りは、変更はされないのだという。

37 : 2024/03/08(金) 05:36:49.97 ID:0HKdc/n/0
管理された太陽都市

 太陽都市の市民生活の中で最も基本となっているのは、すべてのものが共有で、私有が禁じられているということである。これは太陽市民の哲学から来るもので、自分だけの家を持ったり、自分だけの妻子を持ったりするから、利己心が生まれ、横領や偽善や詐欺のようなことが起こるのだという。
 自分の家を持たない太陽市民たちは当然、共同生活をしている。共同生活は環状都市ごとに分かれて行われているが、定期的に人員の異動がある。仕事は人々の適性に応じて完全に分担されており、貴族のように遊んでいるものは1人もいない。子供たちの教育や育成も都市が管理している。子供たちは幼いうちから共同で育てられ、あらゆる学芸や技術を修得させられる。したがって、大人になったときには、どんな職業についても困らない能力を身に付けているという。このようなことが行われるのは、子供たちは個人の持ち物ではなく都市のためのものだと考えられているからだが、都市の役に立つよりよい子供が生まれるようにするという考えによって、太陽都市では性生活まで完全に管理されている。何日に一度、何時に、誰と誰が性交するかということが、役人によって決められているのである。例えば、体の大きな精力的な男は大きな美しい女と、太った女はやせた男と、やせた女は太った女と性交するという決まりがあるが、これはこうすることで釣り合いをとるためなのだという。
 こうして、何もかもが共同体のために管理されることによって、太陽都市では理想的な市民生活が営まれているというのである。そこには、いわゆる凶悪犯罪である窃盗、殺人、強姦、近親相姦などは存在しない。恩知らず、不親切、意地悪、嘘などは存在するが、こうした罪は厳罰に処せられるという。

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