明治時代の日本のタコ部屋がガチでヤバい😰

1 : 2021/10/03(日) 15:18:01.46 ID:UserHrs+0

トンネルの壁から撲殺遺体が…「人柱」として埋められた、労働者たちの「無念」

日本の近代化が進んだ明治時代、北海道を中心に「タコ」と呼ばれる労働者がいた。半ば騙すような形で勧誘され、「タコ部屋」という宿舎に詰め込まれて外部との接触を断たれた彼らの実態は、【前編】『殴る、蹴る、労働者を「生き埋め」に…明治の「タコ部屋」のヤバすぎる現実』で見た通りだ。悲惨な環境で過酷な重労働に従事する毎日だったというが、時にはさらに惨たらしい方法で死へと追い込まれていった。

地元に残されてきた「言い伝え」

「タコ」と呼ばれた人たちの幽霊。それは間近で彼らの姿を見てきた地元の人々によって伝承された。

例えば北海道の東部にある厚岸郡厚岸町には「タコがつくった人形」という言い伝えが残されている。それによれば、タコ部屋の凄惨な状況を見たひとりの労働者が、人形師であった経験を生かして死んだ同朋たちの霊を慰めるため、土で男女2体の人形を作った。

男の人形は当時、半纏を着せてツルハシを握った姿で厚岸町の薬屋の店頭に飾られていた。また女の人形は宝竜寺という寺院に寄贈された。女の人形は寺で彼岸やうら盆に化粧をするなどして供養されていたが、檀家の人々から「本堂の中で人形が幻のように出歩いていた」「参詣人の後を追ってきた」といった苦情が寄せられるようになった。

そのため、やむなく寺では1963年(昭和38年)に納棺して荼毘にふされたという。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/87655?page=1&;imp=0

2 : 2021/10/03(日) 15:18:19.39 ID:EnXbZQiqr
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26 : 2021/10/03(日) 15:18:42.38 ID:dEbMWpWPH
🐙<オラァ!!
27 : 2021/10/03(日) 15:18:51.63 ID:22gA3Ovld
弥生時代からやってる
28 : 2021/10/03(日) 15:18:58.56 ID:kYxhFicEd
だこぉ!
29 : 2021/10/03(日) 15:19:00.37 ID:UserHrs+0
トンネル内に、血だらけの男が…

「タコ」と呼ばれた労働者が関係する怪異譚として有名なのは、常紋トンネルに纏わる話だろう。

紋別郡遠軽町と北見市とを繋ぐ常紋峠に開通したこのトンネルは、やはり彼らの労働によって建設されたという。このトンネルを作るまでに百数十人もの「タコ」と呼ばれた人々が犠牲となったというが、それを示すようにこの周辺では様々な幽霊譚が語られていた。いくつか例を挙げると、以下のようなものがある。

工事の際に人柱を立てたため、雨の日に常紋トンネルを通ると「腹減った、ママ(飯)くんろ」といった声が聞こえる。

トンネルを抜けて信号のガス灯を点滅しに行くと、幽霊に出会う。

機関車の前に血だらけの男が立ちはだかり、急停車して調べると誰もいない。しかし出発しようとするとまた現れる。

常紋トンネルを通る列車の乗客から、トンネル内で火の玉が飛んだ、信号が不意に消えて血だらけの男が立っていたといった目撃談がよく寄せられた。

常紋駅長の官舎に幽霊が現れ、何代にも渡って駅長を苦しめた。

常紋信号所には火の玉が出た、お化けが現れたといった噂があり、駅員や保線区員に勤務を嫌がられた。さらに家族に病気が出る、事故が絶えないなどの話もあり、「タコの祟り」と伝えられた。

常紋トンネルの近くに昼近くになるとドンドンと大きな音がする小屋があり、「ドンドン小屋」と呼ばれた。

30 : 2021/10/03(日) 15:19:24.36 ID:EwheYTC/M
土饅頭も現代人に教えてやれ
31 : 2021/10/03(日) 15:19:44.10 ID:UserHrs+0
壁から「人柱」の骨が見つかった

時は1970年(昭和45年)9月10日。1968年(昭和43年)に発生した十勝沖地震により常紋トンネルの内壁にひびが入り、その修復のための工事が行われていた。

その朝、トンネルの壁から落ちたと思われる足の骨が見つかり、さらに壁を覆うレンガの奥を探すと頭蓋骨が出てきた。これにより実際に常紋トンネルに人柱が埋められていたことが発覚した。

この事件はマスメディアによって報道され、人柱になった人々とともに働いていた人たちや、近隣に住む人が伝えたと思われる「トンネルの中の人柱」の伝承が事実として広く知られることになった。

そもそも人柱とは橋や堤、城や港などの大規模な建造物を作る際、神に生贄を捧げる目的で人間を生きたまま水や土に埋めることを言う。こうした伝説は日本各地に残り、実際に人骨が見つかって史実だと判明した例も多数ある。

常紋トンネルは近代になってできたにもかかわらず、人柱が立てられた。だがその目的は神へ捧げるためではなく、ただ死体の処理のためであり、見せしめのためだったと考えられる。

32 : 2021/10/03(日) 15:19:57.05 ID:sI5PCpIqp
シベリア抑留よりはマシという精神

コメント

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