
- 1 : 2024/12/11(水) 08:25:56.89 ID:0IQ+0teZ9
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2024.12.10
記事:じんぶん堂企画室(聞き手・滝沢文那)※抜粋
https://book.asahi.com/jinbun/article/15538225《柄谷さんは、「近代文学の終り」で、近代的な国民国家の成立には、文学、とりわけ近代小説が重要な役割を果たしたことを確認しつつ、その役割は終えたと指摘した。社会階層などでバラバラだった人々を、“想像の共同体”としての国民(ネーション)としてつなぎ合わせる過程で、共感を生み出す小説が基盤となった。娯楽として軽視されていた小説の地位は向上したが、代わりに知的・道徳的な負荷がかかることになった。近代小説は、虚構にすぎないが、より真実らしさを追い求めてリアリズムを課題とした。しかし、国民国家が世界各地に広がったこと、さらに映画などよりリアリティーを喚起しやすい形式が発達したことなどが重なって、特権的な地位を失っていった、とみる》
――当然というべきか、一部の文学者は反発しました。韓国でも話題になったそうです。
柄谷 近代文学―小説ですね―が決定的な意味を持った時代は終わった。だけどそれは、文学がなくなるとか、文学にはもう意味がない、ということではないんですよ。才能のある作家は常に出てくるものだ、とか、文学を読む人は少数であってもいなくなることはない、とかいった反論がありましたが、それと近代文学の終わりは矛盾しないんです。文学の終わりには、いろいろな要素があって、個々の作家だけの問題ではないから。たとえば、テクノロジーの問題があります。リアリズムという意味では、映画やテレビの映像のほうが文章よりも有利ですよ。小説は書く側にも読む側にも想像力が求められるから、負荷が大きい。その点、視覚や聴覚に訴える映像は楽なんです。
――確かに、日本で一般家庭までテレビが普及したのは70年代でした。
柄谷 小説の凋落を促した大きな要因が、テレビをはじめとする視覚的メディアだというのは、よく言われていますね。
――テクノロジーということで考えてみれば、近代文学そのものが、文字の複製技術である活版印刷の発展があって広がったんですよね。メディアの形式に関していえば、主役が紙からテレビになったのが70年代から90年代だとすれば、さらにインターネットにとってかわられてきたのが、この20年だったという気がします。
柄谷 ネットが出てきて変わった面も大きいと思います。実際 、2000年代以降には、古典的な文学を読む人はほとんどいなくなったんじゃないですか。
――そうですね。実感としても、かなり限られた人になってきたと思います。
柄谷 70年代には、まだまだ文学は読まれていたんですよ。そして、多くの人たちは文学は永遠だと思っていた。そういうときには、文学が終わりかけているという洞察には意味があった。だけど、今の人たちは、文学の永遠を信じるも信じないも、文学を読んだことすらない、という感じでしょう。そういう人たちに向かって、文学の終わりだなんて言ってもしょうがない。
■起源は終焉のときに見えてくる
――柄谷さんがリアルタイムで経験したことについて、少し順を追って聞いていきたいと思います。70年代末というのは、『日本近代文学の起源』(80年刊行)に収録される論文を書いていた頃ですね。近代文学は近代的人間の自我や内面を描いたのではなく、むしろ小説が内面や自我を作り出し、近代国家の形成に一役買ったのだ、という考えはすでにここで示されていました。
柄谷 そういうことが言えたのは、すでにその時に近代文学の終わりを感じていたからだと思う。一般的にいって、起源が見えてくるのは、終焉のときなんですよ。
――最近読んで面白かったのですが、文芸批評家の平野謙が75年に、その頃作家・松本清張が宮本顕治(当時の共産党委員長)と池田大作(同、創価学会会長)の会談を取り持ったことなどをあげて、「戦後三十年間における現代作家の驚くべき社会的地位の向上」を「痛感した」と書いていました。同時にその社会的地位向上に反して、文学の「内実」が希薄化していることとのギャップを嘆いています(「ひとつの締めくくり」『志賀直哉とその時代』所収)。
柄谷 確かにその頃にはまだ、政治と文学の関係はどういうものか、なんていうことが、大真面目に論争されていた。政治経済から世相まで何でもかんでも文学者に意見を仰いだりして、世間では文学者は偉いということになっていたしね。
- 2 : 2024/12/11(水) 08:26:26.24 ID:TLX0u/xJ0
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なろう小説は盛況だぞう
- 3 : 2024/12/11(水) 08:27:17.83 ID:0IQ+0teZ9
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他方で当時文学が軽いものに変質していった、というのもその通りだと思います。『日本近代文学の起源』を書いていた時期(78~79年)にやっていた、新聞の文芸時評では、文学の変化を実感しました。
■エンジンだった社会の格差
――言葉遊び、引用、パロディー、物語といった形式を持つものですよね。作家としては、中上健次、津島佑子、村上龍、村上春樹、高橋源一郎といった名前を挙げていました。70年代末の時点では、柄谷さんはそこにリアリズム中心の近代文学を超える別の可能性を感じていたようですが、90年代に入ると、こうした文学は急速に力を失った、とも書かれています。なぜだったのでしょう。
柄谷 そうですね……。一つの理由としてあげられるのは、近代小説というのは、“差異”から出てきたものだ、ということでしょうか。たとえば、ゴーゴリ独特のリアリズムは、ロシアに、先進諸国からはなくなってしまったような、成員の関係が濃密な共同体が残っていたことから生まれた。日本の夏目漱石も、中国の魯迅も、コロンビアのガルシア=マルケスも、それぞれの社会独特の背景から生まれた。当たり前のことみたいだけど、重要です。
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)
- 4 : 2024/12/11(水) 08:27:21.73 ID:WP4nw+Hs0
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なろうやラノベが引き継いでいるから大丈夫です
- 5 : 2024/12/11(水) 08:27:40.25 ID:jptTU7fV0
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終わったのは小説じゃなくて純文学でしょ?
- 6 : 2024/12/11(水) 08:28:06.40 ID:FvIon7vs0
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そうかの文字が出てきたので記事の内容を頭の中からすべて消去
- 7 : 2024/12/11(水) 08:28:38.90 ID:7++YohjC0
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父性ガーーーーー!!
- 8 : 2024/12/11(水) 08:30:31.00 ID:2wPLUlEX0
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ネトウヨという言葉には『愛国者』という意味がある
つまりネトウヨを馬鹿にしたり批判している連中は中韓の反日工作員なのだ
こいつらの目的は愛国心を持つことを格好悪いと思わせて日本の国力を削ぐことである日本人は反日工作員の書き込みに惑わされないように気を付けてほしい
- 9 : 2024/12/11(水) 08:31:43.91 ID:XyGpDWsY0
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タイパやらコスパ求める割には
中身スカスカな異世界なろう系小説売れてるね
文字通りカネと時間の無駄やと思う - 11 : 2024/12/11(水) 08:33:32.70 ID:vJLnVfSg0
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>>9
異世界転生もの読んでるのっておっさん世代がメインらしいよ - 13 : 2024/12/11(水) 08:35:30.70 ID:6/3L3EOI0
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>>11
中年のおっさんだらけだよな - 19 : 2024/12/11(水) 08:48:22.82 ID:5gknRUHX0
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>>9
要は頭が悪くて理解できないものを無駄と避けてるだけで、短絡的な空っぽなものを消費して、消費した数だけが意味のあることとしてコスパ&タイパ良いとされる本末転倒な頭の悪い現象なんだよ
バカのポピュリズムで文化レベル低下するのがよくわかるよね - 10 : 2024/12/11(水) 08:32:34.76 ID:1ZP2Anx10
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今は、映画とテレビ(番組)が漫画とアニメとインターネットに取って代わった
- 12 : 2024/12/11(水) 08:34:55.24 ID:MASx587t0
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文学も様々な表現技法のジャンルの1つとして平等に評価されるようになっただけやと思うけどな
- 14 : 2024/12/11(水) 08:36:19.51 ID:K8yyJEA80
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なろう小説がラノベになって漫画になってアニメになる
文字文化はある意味隆盛 - 15 : 2024/12/11(水) 08:39:10.78 ID:5QunHvpO0
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若い頃柄谷と浅田が参加してるシンポジウム見に言ったら二人とも性格が糞悪くて辟易したわ
今ならアカハラっていわれてる - 16 : 2024/12/11(水) 08:42:15.81 ID:K/Wr4Uym0
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岡本綺堂の半七捕物帖を読むと楽しく文章の勉強になると思う
明治時代の作家だから文章もしっかりしているし何と言っても青空文庫でタダで読めるw - 17 : 2024/12/11(水) 08:42:54.87 ID:7pji//AZ0
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テクニックに偏重していったものは廃れる
- 18 : 2024/12/11(水) 08:47:55.89 ID:AUR6Cz1m0
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ネットラノベ小説に本のラノベは毎日読みまくってる
- 20 : 2024/12/11(水) 08:49:02.92 ID:foTWcWF90
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そりゃ流行語大賞が
事象が良いからって
取ってつけたような言葉が選ばれる時代である
言葉にする、文字にすることで
事象を固めるという行為が
完全に無価値化したのだと - 21 : 2024/12/11(水) 08:49:16.63 ID:+9wmG3rm0
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本屋大賞からの映画化の流れが始まってから読まなくなったかな
細雪や血脈は何回でも読めるし中上健次も面白い - 22 : 2024/12/11(水) 08:49:22.79 ID:6+uXxM7H0
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タイトル見ただけでゲップが出そうな本ばっか売れてるからな
- 23 : 2024/12/11(水) 08:52:49.06 ID:oYaKxNya0
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科学も哲学も文学も19世紀末から20世紀初頭がピーク
- 24 : 2024/12/11(水) 08:56:05.15 ID:FnDYnXFH0
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今の文壇は朝xx人のものだから
そりゃ衰退します - 25 : 2024/12/11(水) 08:57:55.14 ID:SILAvd2w0
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純文学なんか誰も読まないしなw
面白くないし。時間の無駄になる勉強で必要な古典古い文学は残っていくんだろうけど。
- 26 : 2024/12/11(水) 09:00:54.25 ID:SWPv/nLN0
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芸人やアイドルや変わった経歴の人を賞に選んで話題性持たせようとしてたのが逆に終わらせた
- 27 : 2024/12/11(水) 09:01:38.62 ID:kD/oGBjO0
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近代小説の概念が日本に輸入されしおりにでは小説いかなるものぞとなった際
麻疹のごとく写実主義や自然主義が流行っていたのは日本文学界における不幸であった
当然外国ではすぐに廃れたがこれこそが小説であると思い込まされた日本では未だ文学が高尚であるという愚見が猖獗を極める有り様だ - 28 : 2024/12/11(水) 09:01:44.72 ID:dXDiaiyJ0
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がらや・ゆきとさんか
- 29 : 2024/12/11(水) 09:02:33.32 ID:sRc+kij30
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本屋が無くなったから新しいジャンルの開拓みたいな出会いが無くなった感じ
電子書籍だと、もう自分に興味あるものしか見ない読まない - 30 : 2024/12/11(水) 09:04:33.95 ID:76QvIUd50
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儲かる方に人は流れるからな
純文学とかもう芸能人のはく付けのツールでしかなくなっている - 31 : 2024/12/11(水) 09:07:46.12 ID:cUplTSo00
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東京にも魅力はなくなったしな
イオンモールレベルなんだよもはや
小説もそういうこと
古典は読むべきだけど
新しい本に価値はない
新しい音楽に価値がないように - 33 : 2024/12/11(水) 09:11:48.71 ID:3Ie2FTqm0
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基本的にお前(筆者)の事やお前が見る世界の事なんかどうでもいいからな、大抵それはドライで無機質なんだろ?っていう
- 34 : 2024/12/11(水) 09:13:00.09 ID:KMSwHzn60
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この人死んだ?
- 35 : 2024/12/11(水) 09:25:42.64 ID:PE9zd2rK0
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小説ではなくエンターテイメント性の低い純文学が終わっただけだろ
人々が小説に求めるものが娯楽性の強いものに変化しただけ - 37 : 2024/12/11(水) 09:31:31.62 ID:fwNdLXei0
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なろう小説の存在見えてないんか?
- 38 : 2024/12/11(水) 09:34:27.71 ID:I6p3Gbim0
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フォーマットやロジスティクスだけを論じる意味がどこまであるのかなと
映像作品の多くも基本は文字で書かれた脚本や企画書だし、現代の大江健三郎もそのあたりの分野にいるんじゃないの?
フィリピンの国民国家の成立にボルテスVが強く影響している話とかもあるし - 39 : 2024/12/11(水) 09:36:20.92 ID:8Gf/gs2Q0
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文学としての小説は終わってるよな
文学としてかろうじて残るのは詩と短歌だけだろう - 40 : 2024/12/11(水) 09:36:52.88 ID:YBKMxmKS0
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アニ豚がいきがるスレ
- 41 : 2024/12/11(水) 09:37:20.52 ID:0F6HBSqb0
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ラノベやなろうは小説として認めてないんだろう
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