- 1 : 2021/06/24(木) 18:35:35.975 ID:adgFJGUu0
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男が暗がりの中で一人佇んでいる。
ひょろりと細く、少し猫背の黒い──シャツも、コートも、スラックスもすべて黒尽くめのスーツの男だ。鷲鼻の下でどこか不敵な笑みを浮かべ、手を擦り合わせながら男は口を開いた。「えー……今日はものの数え方についてお話します」
男は万年筆を取り出し、こちらに見せた。
「万年筆は一本、二本。イカは一匹……ではなく一杯、二杯と数えます。人間はもちろん、一人、二人。それでは、人の姿をしながら我々と異なる種族──即ち、ウマ娘は──?」 - 2 : 2021/06/24(木) 18:36:30.823 ID:adgFJGUu0
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自らを皇帝を称した事に後悔はなかった。ウマ娘と生まれたからには、その実力の是非を示す──トゥインクル・シリーズに出るのは当然の帰結だったし、そこで勝つことも当たり前だった。
ウマ娘──異世界の名を継ぎし種族。走るために生まれた者。女は当たり前のように当たり前に結果を示し──それに疑問を抱かなかった。
故に、自らにさらに課した。すべてのウマ娘を幸福に導く事。そのために必要な力を示すこと──シンボリルドルフというウマ娘にとって、それは三冠──皐月賞、日本ダービー、菊花賞を制することだった。
彼女は見事それを果たした。すべてが順調のはずだった──。 - 3 : 2021/06/24(木) 18:37:43.075 ID:adgFJGUu0
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日本ウマ娘トレーニングセンター学園生徒会室。その会長用の椅子に座り──彼女は思索に耽っていた。
茶色の肩までかかる髪の上に、ウマ娘の証たる耳が伸びる。前髪には焦げ茶と白のメッシュが入り、穏やかな目ながら、意志の強さを感じさせた。
本来ならば、彼女にそんな思索な時間など無い。彼女は現役のウマ娘であり、レースに全力を傾けるのが良いに決まっている。しかし──。
「監視システムの更新は明日の朝までかかりますので、監視カメラが停止しております。よって各寮で施錠を徹底させました。明日の校内粗大ゴミの回収に関しては、私の方で立ち会います。皆の登校前ですから、かなり朝が早くなってしまいますので──」
黒く長い髪に、意志強く鋭い視線の副会長──エアグルーヴの言葉で、彼女はようやく現実に引き戻された。
- 4 : 2021/06/24(木) 18:39:34.411 ID:09B2jmEz0
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よく分かんないけど上げ
- 5 : 2021/06/24(木) 18:39:38.141 ID:adgFJGUu0
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「粗大ゴミ? そうか……もう明日だったか」
「お忘れになるのも無理はないかと。会長、何度も申し上げますが、任せられることは私に任せてください。貴女は有馬記念を控えていらっしゃる。ゴミの回収立ち会い程度の雑務、心を砕く必要はございません」
エアグルーヴは生徒会において優秀な右腕だ。彼女に任せておけば大抵のことは片付くが、それでも性分としてここ一番の時は自分で抑えに回らないと我慢ならない。
彼女を始めとする生徒会メンバーが頼りにならないというわけでは断じてないが、ワーカホリック気味であるルドルフの性分のようなものだった。
「三冠ウマ娘という栄誉を得たのです。ご自身のお立場もお考えください。ただでさえ、あなたのトレーナーは今──」
それ以上の発言を制するように、ルドルフは首を振った。
「手厳しいな。画竜点睛、何事も大詰めが大事だぞ、エアグルーヴ。それに君とて三日後にはレースが控えているだろう。私は次のレースまでそれよりは空いている。それに、ちょうど明日捨てたいものもあるのでね」
- 6 : 2021/06/24(木) 18:40:59.714 ID:adgFJGUu0
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ルドルフは立ち上がると、机の影に山積みになっていたコピー用紙の箱──をぽんぽんと叩いた。
「書類ですか、こんなに……」
「先日、栗東寮の倉庫から出てきたんだ。はるか昔のチラシだの雑誌だのを詰めた箱──中身は退寮者の私物らしいが、私達が生まれる遥か前の代物だ。フジキセキにも確認をとって、必要なもの以外は生徒会室に運ばせたんだ。もちろん私もチェックしている。捨ててしまっても問題ないものばかりだ」
「では、これだけでも私が──」
エアグルーヴが箱に手を伸ばそうとするのを、ルドルフは手で制し、微笑んだ。
「実はもう一箱見なければならないんだ。そうなると遅くなってしまう。見ろ、雨も降ってきたし──君は先に上がってくれ」
何か言いたげにしていたエアグルーヴだったが、それを口に出すようなことはなく──彼女は頭を下げ、生徒会室を後にした。ルドルフは一人残され、再び思索を始めた。
彼女のウマ娘としてのキャリアはまさに完璧だった。三冠ウマ娘という栄誉の達成。これから先のシニア級でも、そうした順調なキャリアが、階段を駆け上がるように待っているはずだった。彼女のトレーナー──ウマ娘としてのパートナーの存在は、それに拍車をかけていた。ルドルフは自分で言うのもなんだが、完璧だ。それでも、カバーをかけられない領域──精神面のフォローやトレーニング計画や出走計画の策定は、トレーナー無しには語れない。
そんな彼が、先月大怪我をして全治二ヶ月になったことは、ルドルフを大いに動揺させた。交通事故。幸い命に別状はなかったが、年内に復帰するのは難しく、静養が必要と断じられてしまった。
それはいい。永久に、となれば困ってしまうが、たかだか二ヶ月程度ならば、なんとかなるからだ。
しかし、困ったことは別に起こってしまった。 - 7 : 2021/06/24(木) 18:42:31.297 ID:adgFJGUu0
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「遅くまで結構なことねえ」
ノックもせずにその女は入ってきた。黒スーツ姿の、小柄な女性。トレセン学園所属のトレーナー・中原白乃だ。
「中原トレーナー。生徒会室に入る時はノックを。無礼傲慢に聞こえるかもしれませんが、他の生徒に示しが付きませんので」
「いいじゃないの~。どうせこんな夜中だわ。生徒も教員も──トレーナーだっていやしないわよ」
中原はそう述べると、どっかと応接ソファに腰掛け、禁煙パイポを取り出し咥えた。
「で? 申し出は考えてもらえたのかしら、シンボリルドルフちゃん」
「始めから明々白々ですよ、中原トレーナー。貴女に頼る必要性を感じない。何故なら入院中ですが私にはトレーナーがいるからです」
中原の眉根が寄って、あからさまに不機嫌になったのが見て取れた。
- 8 : 2021/06/24(木) 18:44:02.111 ID:adgFJGUu0
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「へえ……怪我で穴を明けるトレーナーに操を立てるってわけ。ちゃんちゃらお笑いだわ」
「そもトレーナーとは、ウマ娘をデビューから見守る者でしょう。途中から引き継ぐのを無いとは言えど、余程のことです」
「ふうん。じゃ、ルドルフちゃんの説得の前に、トレーナーさんにもわかってもらわなくちゃねえ。……例えば、全治半年まで入院期間を伸ばしてもらうとか」
聞き捨てならぬ言葉だった。入院期間を伸ばす? そんなことができるわけがない。しかし、本当に可能だとすれば──。
「知らないなら教えてあげる。私は貴女のトレーナーが入院してる病院の娘なの。入院期間くらい、いくらでも伸ばせるわよ。……貴女ほどのウマ娘を担当できるなら、なんでもするわ」
「……別に口が訊けないわけではないでしょう。入院中にレースを直に見てもらえないのは口惜しいですが、いつかは退院する」
「そうね。そしてまた交通事故に遭うかも。なんだったら治療も間に合わなくて──死んじゃうかもねえ?」
- 9 : 2021/06/24(木) 18:45:16.346 ID:adgFJGUu0
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中原はそう言って嫌らしい笑みを浮かべた。彼女がトレセン学園に所属するトレーナーの中でも、かなり評判の良くない人物であることは、ルドルフの耳にも入っていた。青田買いとウマ娘潰しの達人。およそトレーナーとしての才能はゼロに等しいが、才能を見抜く才能だけが本物。ダイヤの原石を見つけ出すことはできるが、磨くどころか叩き割ってしまうという人物だった。
当然、ウマ娘をまともに育てられない。つまり彼女は、ルドルフを担当することで名誉挽回を図ったということになるが──。
まさかそこまでやるとは。
完璧であり、どんなことにも応じないはずのルドルフの胸中は揺れた。
追い込まれた人間は強硬手段を取る。最終コーナーを立ち上がってなお、中団に留まってしまうウマ娘のように。そうなれば、トレーナーは。
よくない想像が頭をもたげ、ルドルフの心を黒く塗りつぶした。
想像。想像が膨らみ、制御できなくなる。彼女の明晰な頭脳があらゆる想定を弾き出し──答えを出した。最悪にして最善の答えを。「貴女の仰ることは分かりました。だが、もう夜も遅い。ここも閉めなくてはならないですし、雨ですが宜しければ外で続きを」
「そう? いい返事が聞けるならどこだって構わないわ」
「であれば、裏門から外に出て、道路で待っていていただけませんか。十分後にはここを締めて、そちらに向かいます」
- 10 : 2021/06/24(木) 18:46:05.191 ID:adgFJGUu0
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中原が出た後、ルドルフは生徒会にあった台車を展開させ、山積みのコピー用紙の箱を台車へと移し、シートをかける。そしてビニール紐で縛ってから、生徒会室を出た。
外は雨だ。フード付きのレインコートを着て、ウマ娘用のトレーニングシューズに履き替え、重い台車を押し始める。ウマ娘でなければ、動かすことも難しそうな量だが──ルドルフにとっては造作もないことだった。
エレベーターに乗り、非常口から正門に出て、校舎の塀沿いに台車を転がしていく。
幸い深夜帯にもなると、トレセン学園の周辺には人通りは少ない。ましてや雨だ。見られてもフードで顔は隠れている。裏門のある側、その曲がり角に辿り着くと、裏門に設置された街灯が、雨の中佇む中原を照らしているのを確認すると、イメージをした。
雨の中のターフを。いつもより硬い地面を。そして、スタートのファンファーレと──ゲートを。いつもであれば高揚するはずの感情は、この雨のように冷たく、凍るようだった。
- 11 : 2021/06/24(木) 18:46:37.889 ID:adgFJGUu0
-
ルドルフは足を踏み出し、加速する。手は台車を握ったまま、光の中の中原を見据え、最終直線を駆け抜けるが如く加速する。
ライトの下で佇んでいた中原が異変に気づき、顔を上げた瞬間、ルドルフと目が合うも──最高時速五十キロに達するウマ娘と台車を避けるには、何もかも遅すぎた。
空中で三度ほど回転した後、アスファルトに叩きつけられた中原は、ルドルフがどう見ても死んでいた。ピクリとも動かない。
そして、自分の呼吸も全く止まらなかった。いつもならば、すぐに収まるはずの呼吸も、心臓の動悸もとまらない。「今是昨非──しかしこうするより他にないじゃないか……」
血溜まりが広がる前に、ルドルフは台車と共に裏門をくぐり、施錠する。いつもならば頼もしい監視カメラが動いていないことに、この上ない感謝を覚える。
正門近くに積み上げられた粗大ゴミの山に、すべてのコピー用紙の箱を乱暴に投げ込み、念の為台車も捨てようと見ると、前の方に赤黒い液体が滴っていた。
ハンカチを取り出し、念入りに拭き取ってから、水溜りにそれをつっこみ、洗った。自分がこの上なく惨めだった。泥水でハンカチを洗う行為が、まるで自分を罪で染め上げているように感じたのだ。
泥だらけのハンカチをもっていられなくなり、ビニールシートでくるんでから粗大ゴミの山にあった燃えるゴミの箱に放り投げると、ルドルフはいつものように正門の施錠を確かめると、寮の自室へと向かった──。
- 12 : 2021/06/24(木) 18:46:57.206 ID:adgFJGUu0
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飯食ってきますので保守お願いします
次から古畑登場です - 13 : 2021/06/24(木) 18:54:09.718 ID:nU+8r/PJ0
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ぱい
- 14 : 2021/06/24(木) 19:30:35.816 ID:WtGu9g2H0
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保守
- 16 : 2021/06/24(木) 19:48:29.257 ID:BgLGQp200
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スペちゃん出ますか?
- 17 : 2021/06/24(木) 19:58:45.630 ID:WtGu9g2H0
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補習
- 18 : 2021/06/24(木) 20:03:24.679 ID:RilwMoL90
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最初に古畑の挨拶から始まってない!
やりなおし! - 19 : 2021/06/24(木) 20:03:47.457 ID:RilwMoL90
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あったわ
すまん - 20 : 2021/06/24(木) 20:13:40.699 ID:WtGu9g2H0
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捕手
- 21 : 2021/06/24(木) 20:22:38.817 ID:WtGu9g2H0
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星ゆ
- 22 : 2021/06/24(木) 20:30:04.087 ID:adgFJGUu0
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すいません遅くなりました再開します
- 23 : 2021/06/24(木) 20:30:22.959 ID:WtGu9g2H0
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待ってたぞ!
- 24 : 2021/06/24(木) 20:31:13.380 ID:adgFJGUu0
-
朝のトレセン学園に、パトカーのサイレンが鳴り響く。生徒が数名窓から顔を出し、何事か様子を見るが伺いしれない。
無理もない話だ。彼女らのいる寮はトレセン学園正門側にあり──パトカーのサイレンはその真逆、裏門側で鳴っているのだから。トレセン学園所属のトレーナー、中原白乃が遺体となって発見されたのは、今朝のことだった。たまたま学園の裏で犬の散歩をしていた近所の住人の通報によって警察が出動。初動捜査が行われたのは七時半。一時間程度で遺体の運び出しが終了し、実況見分も終わりかけの頃──シックな金色の自転車に乗ってやってきた男が、のんきにトレセン学園の柵を使って鍵をかけた。
「古畑さん、お疲れ様です」
制服の警官が男に声をかけた。
「なぁにもう……私、私ねえ、朝はダメなんだよ……一日十時間は寝ないと寝た気がしなくてさぁ……」
男は黒かった。ひょろりと細い体を、黒いコートに黒いシャツ、黒いスラックスに靴……全身黒く揃え、どこか眠そうな表情の中で、不機嫌そうに続けた。
- 25 : 2021/06/24(木) 20:32:51.352 ID:adgFJGUu0
-
「……君、君名前なんだっけ」
「向島です」
「向島くん。……覚えた。朝はダメだねぇ……頭がまともに働かないよ」古畑はそうため息をつくと、遺体のあったアウトラインのそばにいた男──若いのに生え際が後退してしまっている、落ち着きのない男だ──がこちらに向かってくるのを見て、さらに不機嫌そうにため息をついた。
「古畑さぁん! 遅いじゃないですか!」
古畑は顔を合わせるなり、男の額をぺしりと叩いた。
「バカ。今泉くん。私はねえ、こんな朝早くから仕事なんかしたくないんだよ。……だいたい、死体が出たって聞いたけど、交通事故らしいって?」
今泉は叩かれた額を抑え、ペラペラと手帳をめくって、判明した情報を話しだした。
「はい。被害者は中原白乃、二十七歳。この建物──日本ウマ娘トレーニングセンター学園所属のトレーナーだそうで」
「日本……何?」
「日本ウマ娘トレーニングセンター学園です。古畑さん、知らないんですか? ウマ娘の養成所ですよ」
「アグリゲイティバクター・アクチノミセテムコミタンス」手帳に視線を落としていた今泉が顔を上げて、古畑を見た。
「なんすか?」
「歯周病の原因になる菌の名前。覚えときなさい。で? 交通事故なら、Nシステムとか……なんだ君、あるじゃないここに! 監視カメラがさあ」
古畑が指差した先には、確かに監視カメラがある。裏門は閉じたままだが、カメラはその外へ向いており、事故現場を撮影するように設置されている。
- 26 : 2021/06/24(木) 20:35:01.836 ID:adgFJGUu0
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「この監視カメラ、昨日は動いてなかったらしくて」
「そうなの。ふ~ん……これなに」古畑が指差したのは、柵についていたチョークでついた印だった。今泉が手帳をめくって、答えを読み上げた。
「すでに現場復帰済みなんですけど、血が飛んだ跡だそうで」
「ふ~ん……なんで門の片側だけに飛んでるの? ここまで血が飛んだなら、片側にも付いてるんじゃない?」裏門はいわゆる両開きタイプだったが、片側には地面にポールが突き刺さっており、簡単には動かないようになっている。もう片側だけを動かして出入りするようだった。
「被害者がそこから出た直後に轢かれたんじゃないですか? 現着した時には、この門は閉まっていたみたいですし」
古畑はしゃがみこんで、地面に刺さっているポールをしげしげと眺めていたが、門の間の石畳──地面に残っている跡を見つけた。泥が線に伸ばされたような──それが並行に、学園に向かって伸びている。
「これなにかな」
「泥じゃないですか」古畑は同じようにしゃがみこんできた今泉の額を、再びぺしりと叩いた。
「そんなことは見れば分かるよ。私が言いたいのは、なんの跡かってこと」
「タイヤの跡にしては細いですしねえ」
「そういえば、被害者を轢いた車のタイヤ痕はあったの?」
「無いみたいです。ひき逃げかもしれませんね」ふうん、と唸って、古畑は人差し指と中指で、眉間をとんとん叩いた。
「一応さあ、学園の人にも様子を聞いておこう。死亡推定時刻は?」
「昨晩の十二時から一時の深夜帯です」
「生徒じゃ何も見てないかもしれないねえ……」 - 27 : 2021/06/24(木) 20:35:56.871 ID:2Y4VEYGe0
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面白いと思う
でもなんか罫線多いな - 28 : 2021/06/24(木) 20:37:05.386 ID:adgFJGUu0
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「会長、お聞きになりましたか」
エアグルーヴが開口一番そういうのへ、ルドルフは回収業者の受領証をクリアファイルにしまいながら、顔を上げた。
「一体どうしたんだ、エアグルーヴ。君らしくもない」
「中原トレーナーが亡くなったんです。昨日の深夜に──警察がいて、何があったのかはまだ不明ですが」
「なんと……」自分が痛ましい顔を作れているかどうか、自信がなかった。トレーナーはトレセン学園にとってなくてはならぬ存在。それを失えば、損失だ──そんなことを反芻しながら、ルドルフは顔を上げた。
「中原トレーナーは現在担当するウマ娘がいないのが幸いでしたが……なんにしろ身近な人の死は動揺を生むものです。会長から生徒へ説明を──」
「話を大きくするのは事実関係の確認が済んでからだ、エアグルーヴ。場合によっては先生方にも……」「あのう……こちら、生徒会室でよろしいでしょうか」
男が一人立っていた。訝しげに視線を送るエアグルーヴに代わって、ルドルフが口を開いた。
「いかにもここが生徒会室です。あなたは?」
「あの~私……古畑と申します。捜査一課の刑事でして……。なんですね、ここトレセン学園と言うんですか? とても広いんですね……理事長のお部屋はすぐに見つかりまして、許可は頂いたんですが……ここに辿り着くまでとっても大変でした~」 - 29 : 2021/06/24(木) 20:38:37.794 ID:adgFJGUu0
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エアグルーヴが一歩前に出て、彼女らしく強い口調で男に呼びかけた。
「それで、捜査一課の刑事とやらがここに何の用だ」
「こちらの生徒会というのは、大変に優秀な方が揃っておられるようですねえ。理事長はとっても頼りにされているようでした~。実は、昨晩このトレセン学園のトレーナーさんがお亡くなりに……ご存知でいらっしゃる?」ルドルフもエアグルーヴも頷いた。古畑はそうですか、と笑みを浮かべて続ける。
「え~……なんと言いますか……お察ししますう。今の所、警察としても事件事故の両面で調べておりましてえ……教員の皆さんの聴取はさせて頂いたんですが、生徒さんたちも何かご存知じゃないかと。……すると生徒会長さんは学内のことに大変よく目を配っていらっしゃるということでえ、ぜひお話を伺えないかと、まあこういうことなんですう。フフフ」
「そうでしたか。私が生徒会長のシンボリルドルフです。こちらは副会長のエアグルーヴ。我々にできることがあれば、なんなりとご協力させていただきます」
心臓の音が相手に聞こえてしまうのではないか──ありえない想像をルドルフは無理やり押し込んで、ソファへ腰掛け、古畑にもそうするように促した。
- 30 : 2021/06/24(木) 20:40:29.673 ID:adgFJGUu0
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「で、早速なんですが……昨日の深夜十二時から一時頃に、中原トレーナーはお亡くなりになったようなんですう」
「大変に痛ましいことです。我々生徒会としても、優秀なトレーナーの命が失われてしまうのは、大きな損失です」「はい。お察ししますう。それで、その時間帯に残っていた生徒さんはいらっしゃいますか。事件に繋がる何かを目撃した方がいれば、大きな進展に……」
「我がトレセン学園の生徒は、どんなに遅くとも日をまたいで学園を出ることはない。例外的に生徒会は施錠のための鍵を持っているが……」エアグルーヴがルドルフの方を見て、言いにくそうに言葉を濁した。
「古畑さん。おそらく昨晩、この学園を最後に出たのは私だと思います」
「会長、貴女が……? それは何時頃で?」
「深夜十二時は回っていたかと思いますが」
「ん~……そうですかぁ。何か、おかしなものは見ませんでしたかあ? え~例えばそう……裏門を通る人影とか」妙な事を聞くと思った。中原はそもそも学園の外で亡くなっている。
「それは中原さんのことですか?」
「いいえ……んフフ、違いますう。そういう意味ではありません……深夜うら若い女性が、たった一人であんなところにいた──だいぶ不自然ですう。轢かれるまで立ち尽くしていたとは思えませ~ん。なら、たまたま外に出た瞬間轢かれたのか? あそこは監視カメラがあるものですから、かなり明るい電灯を設置されてるんだそうです。なら、どんな酔っぱらい運転でも気づきそうなものですう」
「貴様、回りくどいな……何が言いたい?」
エアグルーヴがしびれを切らし、語気を強めて切り出した。古畑はそれにも動じず、笑みを浮かべながら話を続けた。
- 31 : 2021/06/24(木) 20:42:18.556 ID:adgFJGUu0
-
「可能性はひとつ……中原さんをライトの下で見つけてもなお、ブレーキを踏まなかった。だとするとひき逃げというよりは殺人事件かもしれないと私は考えています……会長さん。改めて伺いますが~……昨晩、裏門近くでおかしなものを見ませんでしたか?」
レースのあとですら、こんなに動悸がしたことは無かった。警察とこのような話をしたのは初めてだったが、こんなに早く事件を暴こうとする者が現れるなんて──。
「残念ですが、昨日は正門から出ましたので、裏門のことは──」
「そうですか~。大変良くわかりました。参考になりましたあ。会長さん。しばらく学園の方を見て回りたいのですが──」古畑は申し訳ないと思っているのか当然と思っているのか──曖昧な笑みを浮かべながらそう続けた。
「わかりました。生徒会からアナウンスしておきますので、どうぞ見て回ってください。しかしトレセン学園はいわゆる女子高と同じですので、節度を持った行動をお願いします」
「はい、もちろんですう。私一人だけで見て回ります。私の部下に今泉というやつがいましてえ、こいつがまたわけのわからないことをしでかすやつなんです。あんなのを連れて回ったら大変なことに──すみませんこれは関係ない話でした~
古畑は深々と頭を下げると、嵐のように部屋を出ようとして、ふと振り返って言った。
「ところでもう一つだけ、お伺いしても?」
- 32 : 2021/06/24(木) 20:44:20.284 ID:adgFJGUu0
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「なんだ貴様まだ何かあるのか?」
エアグルーヴが苛立った様子でそう言うので、ルドルフは少しだけ焦った。余計な疑いをもたれたくはない。何せ相手は、もう中原の死を殺人ではないかと疑っているのだ。
「エアグルーヴ。古畑さんに失礼だぞ。……なんでしょう」
「会長さん、なぜ中原さんが裏門を通ったと思ったんですかぁ? 確かに中原さんは裏門近くで亡くなっていましたが、会長さんと同じように正門から出て裏門近くへ向かう可能性もあったはずですが~……」妙なことは答えられない。ルドルフは慎重を期しながら、その頭脳をフル回転させ──最低限かつ最善の答えを述べた。
「それは、裏口がスタッフ用の出入口だからですよ。教員やトレーナーなら、誰でも使っています」
「そうですかあ。なるほど、よくわかりました~。そうですよねえ、スタッフ用の出入口ですか。それなら中原さんが裏門を通ったのも確信が持てると言うわけですねえ。大変失礼しました」今度こそ出ていった古畑のことを、なんと評価したものか、ルドルフにはわからなかった。カンだけが鋭い三流刑事なのか、それとも刑事は皆そういうものなのか──。
- 33 : 2021/06/24(木) 20:44:46.652 ID:adgFJGUu0
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「なんだあの刑事は。会長、理事長を通して、警察に抗議すべきでは?」
エアグルーヴはまだ湯気を立てていたが、彼女に何も──何も気取られぬように、ルドルフは無理に笑顔を作った。
「トレセン学園に余計な波風を立てないようにするためなら、仕方がないことだ」
「しかし」
「エアグルーヴ。……必要があれば、私が何とかする。君は二日後に控えたレースのことだけ考えるべきだ。違うか?」彼女が渋々頷いたのを見て、ルドルフはようやく胸を撫で下ろした。とはいえ、いくら勘が鋭くとも、既にない凶器を見つけ出すことはできないはずだ。
そうやって自分に言い聞かせることしか、今のルドルフにはできなかった。 - 34 : 2021/06/24(木) 20:47:54.659 ID:adgFJGUu0
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トレセン学園は中高一貫の教育機関でもある。午前中が一般の教育・教養の授業が行われ、午後はレース出場を目標にしたトレーニングや理論習得のための座学が実施される。
とはいえ、通常の学校と同様に休憩時間も昼休みも存在する。
すでに十一時半。古畑は一通り学園を回り終え、正門まで戻ってきていた。「……なんだ。もう捨てられてるじゃないか」
葉っぱを咥えたウマ娘が、正門近くの看板を引っこ抜きながら、舌打ちしていた。
「あのう……ちょっといいかなあ?」
「……アンタ、確か刑事の。会長から話は聞いてる。中原トレーナーの事件を調べてるんだってな」古畑はにこやかに笑みを浮かべて、背中を丸めて手を向けた。
「はい。古畑ですう」
「ナリタブライアンだ」ブライアンはぶっきらぼうに名前を述べた。
「なかなか難航しててねえ、困ってんです。一周回ってみたんだけど、なかなかこれという手がかりが掴めてなくてえ、ンフフ──今、捨てられたといってたけど、ここ、何かあったの?」
ブライアンは持っていた看板を見せながら、どうも不機嫌そうに話を続けた。
「どうもこうもない。会長が買ったばかりの台車を壊して粗大ゴミに出しやがったんだ。今朝回収されちまって、どうにもならんというわけさ」
看板には『粗大ゴミ回収指定場所、回収期限は水曜日まで』と張り紙が貼られている。
古畑は少しだけ首をかしげながらしげしげとそれを見つめ、ブライアンに尋ねた。「台車、ねえ……会長さん、台車なんて何に使ったの?」
「昨日、帰る直前に書類の山を積んで捨てたんだと。寮から何十箱も出てきたゴミを、わざわざ中身確認してから捨てるってんだ。ご苦労さまだ。それで壊してりゃ世話ない。特注だったのに」
「ふうん……しかしそれじゃものすごい重さになるんじゃないの? 会長さん一人じゃ動かせないんじゃないかなあ?」ブライアンは何がおかしいのかふっと笑みを漏らす。当然古畑もそれが気になったようで、顔を覗き込んだ。
「ん~? なにどういうこと?」
「アンタ、もしかしてレース見たことないのか?」
「ん~……テレビはよく見るんだけど、ウマ娘のレースはないねえ。どういうことなの?」ブライアンは看板を掲げて、運動場らしき場所を指して言った。
「ちょうど、中等部の連中が早めにトレーニングしてる。アンタもそれ見ればわかるさ」
- 35 : 2021/06/24(木) 20:49:49.228 ID:adgFJGUu0
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広い運動場であった。オーバルタイプのトラックが、距離ごとに組み合わされた複雑で巨大なもので、ブライアンが言っていたように、かなりの人数のウマ娘がトレーニングに励んでいた。
「ウララちゃん、今日はタイヤトレーニング?」
前髪に白いメッシュが入ったボブカットのウマ娘が、自分より一回り小柄な子──その髪色はなんとピンク色で、額に鉢巻をしている──に尋ねた。
「うん! スペちゃんも?」
「えへへ……最近また体重がちょっと……」
「そうなんだ! じゃ、タイヤつけて併走トレーニングだね!」古畑はトラックの側に備え付けてある柵にもたれ、顎に手をやりながら二人のやりとりを見ていた。
何より異様なのは、彼女らがベルトで繋いだ先にあるタイヤ──その大きさである。明らかに大型トラックかそれ以上のものだ。それをなんの疑問もなくずりずり引き摺って、同じスタートラインに立ったかと思うと、信じられない力強さで走っていくではないか!
古畑任三郎VSシンボリルドルフ 「完全なる皇帝犯罪」

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